大阪高等裁判所 平成10年(う)509号 判決 1998年12月09日
主文
本件控訴を棄却する。
当審における未決勾留日数中二〇〇日を原判決の刑に算入する。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人小松琢(主任)、勝又護郎連名作成の控訴趣意書に記載されたとおりであるから、これを引用する。
一 控訴趣意中、理由不備の主張について
論旨は、原判決は、「判示認定の補足説明」の項において、犯行後の被告人らの行動として、①被告人と甲野が犯行後に京都市内で乙野会長に会った、②丁野らは民家に入って、丁野が犯行に使った服等はゴミ袋に入れて家に残した(右服等は、後日丙野らが処分した。)、③丁野は犯行後、丙野の運転する自動車の後部座席に乗って現場を離れた、と説示するが、①については、被告人が「京都市内」で乙野会長に会った点、②については、「服等は後日丙野らが処分した」点、③については、丁野が丙野の運転する自動車の「後部座席」に乗った点については、冒頭陳述の引き写しで、証拠が全くないから、原判決には理由不備がある、というのである。そこで記録を調査して検討するに、たしかに、所論が指摘する各事実を認める証拠は、被告人の関係で取り調べた証拠中にはないが、所論指摘の各事実は罪となるべき事実ではない上、①、③の各事実は共謀を推認させるほどの事実でもなく、また、②の事実は一応共謀に関連する事実ではあるが、本件においてはそれほど重要な事実ではないというべきであるから、このような点での証拠を欠いても、理由不備には当たらない。
二 控訴趣意中、訴訟手続の法令違反の主張について
1 論旨は、原判決は、共犯者とされる丁野太郎の各検察官調書を刑訴法三二一条一項二号後段の書面として採用し、証拠として挙示しているけれども、右検察官調書には同法三二一条一項二号の要件である特信性が認められないから証拠能力がないのに、これを証拠として採用し、罪証に供した原判決の訴訟手続には判決に影響を及ぼすことの明らかな法令違反がある、というのである。そこで、記録を調査して検討するに、丁野の各検察官調書に特信性を認めて罪証に供した原判決の訴訟手続には何ら違法の点はない。所論は、丁野は、取調べ検察官から「自分のことだけ言ったらいいんや、他の人は関係あらへん。」と言われて自分の思いを正直に話したところ、検察官によって、さも丙野や甲野に伝えたこと、あるいは全員で話し合ったことにすり替えられたものであって、丁野は、公判廷で述べるように、捜査段階から一貫して全て自分の一存でやった単独犯行である旨供述していたものであるから、検察官調書には特信性がない、と主張する。丁野は逮捕当初は単独犯行である旨供述していたが(なお、逮捕、勾留事実は丙野こと丙次郎(以下、丙野という。)との共謀)、その後、丙野のほか本件の共犯者である甲野三郎、被告人についても共謀関係を認める公訴事実に沿う供述をするに至り、公判廷では再び単独犯である旨供述している。そこで、まず公判廷での供述についてみると、丙野、甲野、被告人はいずれも暴力団寺村組の組員で、丙野、甲野は共に若頭補佐、被告人は甲野の兄弟分であり、丁野は戊野組組長を見届け人として丙野から杯をうけた同人の若衆という関係にあるところ、丁野は原審での被告人質問において、暴力団を辞める気はないと供述しており、将来、組に復帰することを考えている丁野としては、組幹部である共犯者やその関係者の面前では共犯者らに不利益な事実については供述しにくいところ、丁野の公判廷における供述は、被告人としてのものも、丙野らの公判における証人としてのものも、いずれも共犯者や多数の戊野組関係者の面前でのものであること(原審第三回公判期日の被告人質問の際、検察官から、傍聴席に戊野組の者がいるかと聞かれて「仰山いますね。」と答えている。)、丁野は、原審第一回公判期日においては、本件犯行に使用したけん銃及び実包は丙野から貰ったものであると供述しながら、その後この点について黙秘するなど供述に変遷があるばかりでなく、共犯者の言動についての供述には曖昧な点が多いことからすれば、丁野の公判廷における供述にはその信用性を著しく低下させる状況が存するものといえる。これに対して検察官調書は、いかに丁野にとって単独犯行より暴力団幹部らとの共謀による犯行とした方が罪責が軽くなるとはいえ、自分の親分が所属する暴力団の幹部や自分の親分について、敢えて虚偽の事実を構えて罪に陥れるとは考えがたいこと、当初単独犯と供述していたことも、右の丁野と共犯者らとの関係からすれば親分らを庇ったものとして理解できること、また、丁野は逮捕の二日後には弁護人を選任しており、そのような状況で取調べを受けている時に、所論のように検察官が丁野の供述をすり替えて調書化し、それに丁野が異論を述べないなど考えられないことからすれば、検察官調書には信用性に疑いを抱かせるような状況は存しない。以上によれば、丁野の各検察官調書に特信性を認め、証拠として採用した点に違法はない。所論は採用できない。論旨は理由がない。
2 論旨は、仮に、丁野の各検察官調書に特信性が認められるとしても、証拠能力が認められるのは相反部分に限られるのに、各検察官調書の全部を証拠として採用し、罪証に供した原判決の訴訟手続には法令違反がある、というのである。ところで、刑訴法三二一条一項二号後段により証拠能力が認められる範囲については、法文上は検察官の面前における供述を録取した書面とするのみであるが、相反する供述部分若しくは実質的に異なった供述部分(以下、相反部分という。)以外の検察官調書中の供述記載は公判準備若しくは公判期日における供述と重複した証拠であり、伝聞証拠にその例外として証拠能力を付与するための要件である必要性を欠くことになるから、同号後段より証拠能力の認められるのは相反部分及びこれと密接不可分な部分に限られると解するのが相当である。そこで、記録を検討すると、原判決は、丁野の各検察官調書の全部について証拠能力を認めて証拠として採用し、これを罪証に供していることは明らかである(丁野の各検察官調書中には相反部分及びこれと密接不可分な部分以外の供述記載があるところ、公判調書上証拠として採用したのは相反部分及びこれと密接不可分な部分に限る旨の記載はなく、また、丁野の各検察官調書の全部を証拠として採用したことについての弁護人の異議に対してなんら理由を述べることなくこれを棄却している上、原判決が丁野の各検察官調書を相反部分に限ることなく証拠として摘示していることからすれば、相反部分以外の部分を相反部分の特信性等証拠能力判断のために限定して証拠調したものとは認められない。)。してみると、原判決の訴訟手続には法令違反があるが、相反部分及びこれと密接不可分な部分以外の部分を除く丁野の各検察官調書のほか原判示の各証拠によれば原判示事実は優に認めることができるから、右の法令違反は判決に影響を及ぼすことが明らかであるとはいえない。論旨は理由がない。
3 論旨は、原審は、弁護人が証人として申請した丙野及び己野四郎を採用しなかったが、丙野は実行犯である丁野の直属の親分であって、事案の真相を明らかにする上で、また、己野は本件の動機の有無を判断する上で、いずれも不可欠な証人であるから、右各証人を採用しなかった原審の訴訟手続には、刑訴法一条に違反する法令違反があり、右証人によって、被告人の無実が明らかになるから、これが判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。そこで、所論にかんがみ記録を調査して検討するに、所論指摘の各証人を採用しなかった原審の訴訟手続には違法な点はない。すなわち、証拠の採否は原則として裁判所の裁量によるものであるところ、丙野の証人申請を却下した点については、原審では、弁護人請求の書証として丙野の公判における同人の被告人供述調書を採用して取り調べているほか、共犯者としては弁護人申請の証人として甲野を採用して取り調べているのであるから、丙野の証人申請を必要がないものとして却下した原審の証拠採否についての判断が裁量を逸脱したものといえない。また、己野の証人申請を却下した点については、己野の立証趣旨は「本件犯行前に、戊野組内では、庚野五郎の取り扱いにつき、指詰めで話がついていたこと」というものであるところ、検察官請求で取調べ済みの辛野六郎の検察官調書(原審検察官証拠請求番号(以下、検という。)四一)中に、庚野が辛野に対して「あの話は話がついた。穏便におさまったのや。」と言っていた旨の供述記載があるから、原審としては重ねてこの点の証拠調をするまでもなく、既に取り調べ済みの証拠から右の供述の信用性ひいては庚野については話し合いがついていたとの被告人らの弁解や弁護人の主張についての判断ができるものとして己野の証人申請を却下したものと考えられ、したがって、原審の証拠採否の判断が裁量を逸脱したものとはいえない。論旨は理由がない。
三 控訴趣意中、事実誤認の主張について
論旨は、原判決は、被告人、丙野、甲野と丁野との共謀を認めているけれども、被告人は丁野らと本件について共謀をしたことはなく、本件は丁野の単独犯行であるから、原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認がある、というのである。そこで、所論にかんがみ記録及び証拠物を調査し、当審における事実取調べの結果をも合わせて検討するに、原判決挙示の各証拠によれば原判示の各事実は共謀の点を含めこれを認めることができ、原判決が「判示認定の補足説明」の項で説示するところも概ね相当であって、当審における事実取調べの結果によっても右の認定・判断は左右されない。所論は、原判決が丁野の検察官調書に信用性を認めた点を多岐にわたって非難するところ、前記のように丁野にとっては、自己の単独犯行とするよりも丙野ら組幹部らとの共謀による犯行とする方が情状が軽くなるから、その供述の信用性の判断をするについては慎重な検討が必要であるが、丁野は本件犯行に使用したけん銃及び実包について、検察官調書では丙野から貰った旨供述していたところ、共犯者らが本件犯行を否認していることを知って臨んだはずである原審の第一回公判期日でも明確に同旨の供述をしていること、前記のような丁野と丙野らとの暴力団内部における人的関係や、丁野自身一貫して認めるように、組の中で男を上げたいとして積極的に庚野殺害を敢行した同人が、虚構の事実をかまえて組幹部を陥れるとは考えがたいこと、丁野の捜査段階の供述経過には信用性に疑いを抱かせるような不自然なところはないことなどからすれば、丁野の検察官調書は信用できるといえるが、以下主な所論について検討する。
所論は、丁野の検察官調書によると、丁野、丙野、甲野がA団地一七〇一号室(以下、A団地という。)に集った平成八年二月二〇日ころから、右三名は壬野組組長壬野七郎や本件の被害者である庚野五郎を殺すためのヒットマンとしての別働隊であり、当初の殺害のターゲットは壬野というように話し合われていたところ、三月中旬ころに二度目にA団地に集ったときに三名の話し合いによりターゲットが壬野から庚野に変更になったというのであるが、辛野六郎の警察官調書(検四一)によれば、同年三月二〇日ころ、庚野は辛野に対し「あの話は話がついた、穏便に収まったのや。」と言っていることが認められ、このことから明らかなように、庚野と戊野組との間では庚野の取り扱いについては話がついていたものであるから、丙野らに庚野を殺す理由はなく、前記丁野の供述は客観的事実に反すると主張する。しかしながら、関係証拠によれば、丙野らは三月二〇日ころ以降も庚野の行動を探り、本件当日も、丙野らは、昼過ぎにA団地から二台の車に丙野と丁野、甲野と被告人が分乗して庚野を捜しに出て、まず、庚野が癸野組にいるとの事前の情報をもとに癸野組組事務所に行ったが、庚野の車がなかったことから、甲野と被告人はその場に残り、丙野と丁野は庚野を捜しに行き、その後甲野から癸野組組事務所の駐車場に庚野の車が来た旨の連絡を受けて同所に戻り全員で庚野を監視したこと、次いで、庚野が車で同所を出ると被告人らはこれを追尾し、一旦見失ったが、甲野と被告人が本件犯行現場であるパチンコ店「モナコ」にいる庚野を見つけだし、別に庚野を捜していた丙野、丁野に連絡し、全員が「モナコ」前に集り、その後丙野が二度にわたり庚野の様子を見に行っていることが認められるのであって、被告人らの右の行動は庚野の動向調査というようなものではなく、この庚野に対する執拗な追尾だけを見ても、戊野組と庚野との間で話し合いがついていたとは到底考えられないこと、また、庚野の妻である庚野花子の検察官調書(検一三八)及び警察官調書(検一三七)によれば、庚野は同年二月ころからはほとんど自宅に寄りつかずに身を隠し、本件の前前日と前日には自宅に帰って泊まったものの、いずれも若い男二名を連れて泊まるなど常にこれらの者と行動を共にしており、庚野は本件直前まで身辺を用心していたことが窺えること、丁野は、三月中旬にA団地に再び集って以降丙野らとほとんど行動を共にし、本件直前にも同人らと執拗に庚野を追尾していたにもかかわらず、庚野について話し合いがついたことを、丙野らが丁野に話さなかったというのは、丁野が丙野の子分で組幹部でないことを考慮しても、まったく理解できないことなどからしても、戊野組と庚野との間で穏便にすますことで真実話し合いがついていたとは考えられない。
所論は、丁野の検察官調書(検一二七)によると、丁野は三月中旬ころ、甲野及び丙野とA団地に戻った直後に、その室内で、丙野から本件犯行に使用したけん銃と実弾六発を受けとったことになっているが、丁野の供述は実弾の数について変遷しており、最終的に実況見分の際に発見された実弾五発に合わせて六発と訂正されているもので、丁野の検察官調書の供述内容は、本件犯行に準備、使用された実弾の数という、本件犯行の核心の一つとも言うべき重大部分について客観的事実と矛盾、抵触を生じていて不合理極まりないと主張する。たしかに、所論指摘のように実弾の数についての丁野の供述には変遷が見られるが、丁野の検察官調書(検一二七)によれば、丁野は、丙野から受けとった弾を三発と思い違いをしていた理由として「丙野からけん銃と一緒に弾を六発貰ったがこの弾は六発とも先端が普通の弾よりもへこんだ感じであった。そこで、うまく発射できるのかという趣旨のことを言ったところ、丙野が自分の持っていた三八口径の回転弾倉式けん銃から弾を三発取り出し、これと交換したろと言うので自分のけん銃の弾三発と交換したことがあった。記憶の中でこの弾を三発入れ直したことが焼き付いていたので、弾は三発貰ったものと思い違いしていた。」と供述している。ところで、甲山八郎の検察官調書(検五六)、捜査報告書四通(検四五、四六、五九、六六)、写真撮影報告書三通(検五〇、六一、六八)、鑑定書三通(検五五、六三、七〇)、押収してあるけん銃一丁(原審平成八年押第二四三号の1)、実包五個(同押号の2ないし6)によれば、丁野が庚野の殺害に使用した本件けん銃は三八口径回転弾倉式けん銃(弾倉は六発)であり、丁野が投棄した場所から本件けん銃が発見された際には弾倉内には発射済みの空薬莢が一個あり、丁野が庚野を撃ったのは一発であるから、右の空薬莢はその際のものであり、また、同所からは実包五発が発見されているから、実包は六発あったと認められる。そして、発見された実包のうち三発は実包の先端部分が長いのに対し、残る二発は先が丸いことが認められ、庚野殺害に使用された実包の形状は不明であるが、右のとおり実包には丁野が言うような形状の違いがあることからすれば、丁野が記憶が混乱した理由として述べるところも客観的裏付けがあってそれなりの合理性があり、実包についての丁野の供述に変遷があるからといって、それは同人の供述全体の信用性に影響をする事情とはいえない。
所論は、丁野の検察官調書(検九七)によれば、被告人は二月二〇日から一週間か一〇日後にA団地に顔を出すようになり、その後は、組長宅とA団地の部屋を行ったり来たりしていた、とされているところ、被告人の出勤表(検八〇)によれば、被告人は二月二六日から三月一六日まで、三月三日(日)を除いて連日出勤しており、また、被告人のメモ帳(原審平成八年押第二四三号の7)によれば、被告人の勤務時間は午前六時半から午後五時まで続くから、被告人は夕刻A団地に顔を出し、あるいは会長宅とA団地を往復できる状況にはなかったと主張する。しかしながら、右の検察官調書(検九七)によれば、丁野は所論指摘のよう供述をしているけれども、一方でその当時の被告人の行動については、「被告人は、私らが壬野を殺すために探し回っているときには、A団地のアジトで私らと一緒に寝泊まりしたり、常時壬野を探し回るということはなく、時々、甲野と一緒に壬野を探す程度であり、この時にはもっぱら私らの様子を見に来ているといった感じであった。」とも供述しており、被告人は当時さしたる行動はしていないというものであるから、被告人の勤務状況が所論のとおりであったとしても、被告人が丁野の供述する程度のことを行うのは可能であったといえる。
所論は、丁野の検察官調書(検九七)によれば、丁野は、戊野組組長が会津小鉄本部で庚野の件についてきちんとけじめをつけなければ戊野組の縄張に他の組を入れるなどと叱責されたことを聞いて、このままでは戊野組が潰されてしまうという危機感をもった、というのであるが、一方で、三月初旬に、壬野か庚野を狙うヒットマングループは一時解散したとも供述しており、丁野のいう危機的状況とはつじつまの合わない内容になっている、と主張する。しかしながら、丁野は右の検察官調書(検九七)の中で「右のような危機感から、その後必死に壬野の所在を探し、情報を収集して壬野立ち回りそうな場所や、壬野組組事務所、壬野の自宅等を見張って待ち伏せしたが結局同人を発見できなかった。」とも供述しており、漫然と手をこまねいていた挙げ句に解散したわけではなく、壬野を発見できなかったことから一時解散したというものであるから、供述内容がつじつまが合わないとまではいえない。
所論は、丁野の検察官調書(検九七)によれば、一旦解散したヒットマンの別働隊は三月中旬に再結集し、その際、甲野から壬野を殺せば双方の上部団体である乙山組系中野会と会津小鉄との全面抗争になり、自分たちの喧嘩では済まなくなるので殺害の対象を壬野から庚野に変えるという説明があった、というのであるが、壬野の中野会での地位からすれば、同人を殺害すれば全面抗争になるのは初めから明らかであったから、丁野の供述する殺害の対象を変更した理由は不合理である、と主張する。しかしながら、右の検察官調書(検九七)によれば、甲野は乙山組系中野会と会津小鉄との抗争を回避するためだけに殺害の目的を壬野から庚野に変えると言ったわけではなく、壬野を見つけだすことができないことから、この際抗争も回避できる庚野に殺害の対象を変えることにした旨言っているものであるから、格別不合理とはいえない。
所論は、丁野の検察官調書には、丁野と被告人との間で何時、何処で、どのようにして共謀が成立したのか何ら具体的に供述されておらず、このような検察官調書の存在をもって被告人の共謀を認定することは、被告人が本件犯行前に丁野と行動を共にする機会があって、本件犯行の前後に「がんばれよ。」とか、「お前一人やないんやで。」といった、日常会話を一歩も出ない、単なる励ましの言葉を丁野にかけたことをもって殺人の共謀共同正犯を認定するに等しく不当である、と主張する。しかしながら、丁野の検察官調書(検九七)によれば、甲野、丙野は壬野の殺害を諦めて庚野を殺害することとし、平成八年三月中旬ころに甲野、丙野、丁野が再びA団地に集り、殺害の実行行為は丁野が行うことで共謀を遂げていたところ、その後、被告人もA団地に寝泊まりするようになり、丁野は被告人と組んで庚野を捜しているときに被告人に対して「五郎を殺るのは自分に行かせて下さい。」と言うと、被告人は「聞いている。みんなも一緒やさかいに頑張れよ。」と答えたというのであるから、被告人が丁野から庚野殺害を自分にやらせてくれと言われる前に、被告人、甲野、丙野との間で丁野に実行行為をさせることで庚野殺害を共謀していたと合理的に推認することができる。そして、右の検察官調書(検九七)によれば、甲野、丙野、丁野が同年二月二〇日ころにA団地に集って壬野殺害を計画するとともに、殺害の実行行為は丁野が自ら申出たことから同人が行うことで共謀を遂げていたところ、その後被告人がA団地に顔を出すようになった最初の日に、甲野、丙野、丁野、被告人の集った席で、甲野が被告人に「今回は太郎がやる気になってるさかいに。」と言うと、被告人は「そうなんか。」と答え、次いで丁野が「九郎さん、今回は、自分が行かせてもらうさかいに。」と言うと、被告人は「そうか。お前一人やない。お前の親分も、三郎の兄弟もそばにおるんやから。みな、そばにおるんやさかい頑張れよ。」と言ったことが認められ、被告人は既に壬野殺害についても実行行為は丁野が行うことで共謀を遂げていたことが明らかであることからすれば、その後殺害の対象を壬野から庚野に変えた際に、庚野殺害について被告人が甲野、丙野との共謀から除外されていたとは考えにくいことからしても、前記被告人の本件についての共謀の事実は裏付けられる。
所論はいずれも採用できない。
その他、所論が縷々主張するところを検討してみても、原判決には所論の事実誤認はない。論旨は理由がない。
四 よって、刑訴法三九六条、刑法二一条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官・河上元康、裁判官・瀧川義道、裁判官・飯渕進)